
今の話題は,入試問題が携帯電話?で漏れたこと。
昨年の今頃,息子の進学の関係で下宿探しで大阪・北摂をウロウロ。
その時,茨木の街中で見かけた鬼の子の像や看板の絵のことが,ず~っと気になっていた。
今回の茨木散策で,その像が“茨木童子(いばらきどうじ)”やということが分かった。
茨木童子は、平安時代に大江山を本拠に京都を荒らし回ったとされる「鬼」の一人。
酒呑童子(しゅてんどうじ)の最も重要な家来であったという。
大江山の鬼~~!!
“茨木童子”の民話は、語る人によって内容に若干の違いはあるが、大筋は次のように伝えられている。

昔、水尾村のある農家に男の子(茨木童子)が生まれた。母の胎内に16ヶ月もいたので、生まれた時には歯がはえ揃っていたとか。すぐに歩き始めたという。
難産だったので母はすぐに亡くなり、父が童子を背にもらい乳をするため村中を廻った。童子の飲みっぷりはすさまじく、たちまちお乳が上がってしまうので、誰も相手にしなくなった。
父はある日、童子を籠に入れて九頭神(くずかみ)の森(現在の茨木高校付近)に捨てた。それを床屋の主人が拾いあげ、大切に育てた。床屋の手伝いをしていた童子がある日、客の顔を剃っていた時に、誤って客を傷つけてしまった。童子は吹き出した客の血をとって舐めた。
血の味を知った童子は、その味が忘れられない。
その後、わざと客に傷つけて舐めるようになってしまった。うす気味悪がった客は、店に来なくなり、床屋はさびれる一方となった。床屋の主人に厳しく小言を言われた童子は、ある日近くの小川の橋の上から川に映った自分の顔を見ると、それは鬼の形相をした自分の姿であった。
童子は驚き店には戻らず、茨木の町をあとに丹波の山奥に行ってしまった。
そして、大江山の酒呑(しゅてん)童子のもとに行き、茨木童子と名乗って副将格になったという。
その小川の橋は以来、茨木童子貌見橋(すがたみばし)と名づけられ、後の世まで語りつがれている。
床屋と小川の橋があったといわれる所に,碑が立っている。