大和浪漫

久米仙人は、吉野の竜門寺で修行し、飛行術を身につけましたが・・・

孝安天皇陵へも


孝昭天皇陵から東の方角に小さな山が見えた。
その山の名前は「玉手山」で、山上に第6代孝安天皇の御陵、「玉手丘上陵」があるという。
またまた寄り道!

孝安(こうあん)天皇は、第5代孝昭(こうしょう)天皇の第二皇子で、名前を日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとノみこと)と云う。
孝安天皇は第6代天皇で、所謂“欠史八代”の一人。
実在が疑問視されているだけに、その陵墓にも疑問符が付いているという。
事績は全く伝えられていない。
孝昭天皇68年正月(紀元前408年)に立太子し、同83年(紀元前393年)父天皇崩御に伴い、翌年正月に即位した。
在位102年は歴代天皇中最長だが、信憑性は皆無である。
古事記』に123歳、『日本書紀』に137歳。

この地域は“秋津”と呼ばれている。
御陵から西を見ると、道路の向こうに高校があり、校内の敷地は「玉手遺跡」。
またその直ぐ南側の集落が、御所市池之内で、古代の掖上(わきがみ)池の跡と云われ、「孝昭天皇掖上池心(いけこころ)宮跡」とされています。
先日,大きな建物の柱跡が見つかり話題になっていた。

@あきつ‐しま【秋津島秋津洲/蜻蛉洲】
《古くは「あきづしま」》
大和(やまと)国の異称。また、広く日本をさす。あきつくに。あきつしまね。あきつす。
「そらみつ大和の国を―とふ」〈記・下・歌謡〉
[枕]「大和」にかかる。